こんにちは、相戸ゆづなです。
占いとはまったく関係ない本を読んでいるのですが、その本に書いてある内容が「私が求めていた西洋占星術像」に近かったので、こうしてブログ記事を書いています。
たまには別の本を読むのもいいですね、ということでいろいろ語っていこうと思います。
どんな本を読んでいたのさ
私が読んでいたのは「唯が行く! ー当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記」という本。
障がい者の自助グループに関わっていく少女「唯」を通じて、当事者研究とオープンダイアローグについて学んでいく本なのですが、「当事者研究」の項目が非常に勉強になりました。
当事者研究の言葉を説明するなら、障がい者などが当事者として「自分の生きづらさ」を見出し・研究し、その人にあった「自助」や理解を深めていくことと言えばよいのでしょうか。
で、結局どういうことなのさ??
自分自身の西洋占星術像もこれに近くて、「西洋占星術というちょっと不思議なツールを使って、自分の生きづらさや悩みにフォーカスして、どうやって生きていくか模索していく」という感じでした。
未来がどうのこうのとか、当たる・当たらないじゃなくてさ、自分の内面を見つめようぜ!って思いながら占い活動をしてました。懐かしい。
だからこそ、他の人(お客様・同業者)と意見が対立したし、占いに対する地雷が多かったんだなぁと今になって理解できました。
そらそうよ、私は内面を見つめたいのに他の人は不倫の行く末や転職の転機だもんな、話が合うわけがない……。
惑星・星座でできる「外在化」
自分の課題を見つけて解決方法を探す・自己理解を深める他に「外在化」というものがあります。
己が抱えてる問題や特性に名前を付けて「あ、今〇〇が暴走してるな」と客観的に見る手法なのですが、西洋占星術クラスターの人は無意識?にこれをやっています。
「私の火星が暴走してるな~」・「いて座みたいに道草してるw」と言ったように、己が持っている惑星や星座に当てはめてキャラクター化=外在化。
臨床心理学から派生した手法なのか、占いの知恵でできたものなのかわかりませんが、生きやすくするために同じようなことをやっていたことに驚きました。
余談:「私〇〇だから~問題」
一部の西洋占星術愛好家でよく下記のような発言があります。
「私〇〇座だからこういう特性なの。だから許してね」
「私の惑星〇〇だから配慮してほしい」
星や惑星のせいにして反省・次回に生かさない、相手に配慮や負担を求める、自分じゃない何かのせいにする問題があります。
まあこれに関しては占い以外の人にも言えることなので、外在化するにあたり自戒していきたいところです。
やっぱり占いって難しい
現在福祉やケア・障がいに関する本を読んでいますが、読めば読むほど占いと似ているところがあるなと感じます。
同時に人の心や感情にどうアプローチするのか、よりよい方向にどうすればよいのか、そしてそれの難しさと素人が手に出すことの恐ろしさも痛感します。
上記で記載した西洋占星術の外在化も、上手く体系化・指摘する人がいなくて免罪符・自己正当化的に使う人が多い印象があります。
まあメンヘラが多い界隈だから仕方がないんですけれども(ブーメラン)
また病気を持っている人が似たような人を探し「〇〇座の人はこういう病気の人が多い」という噂を流す人がまれにいます。
普通に医師法違反なので無視でいいのですが、やっぱり占い界隈のモラルが気になってしまいますね。
じゃあこれからどうするのさ
当面は自己にフォーカスしたいので、きっかけを探る補助輪として使ってみることにします。
メインツールとして使わない、占い界隈の意見や動向を気にしないなどの制約はつけますけどね。
外在化に関しても他人に説明しないで自己完結する形にしていこうかなと思っています。
ぼちぼち・ほどほどを意識しながら、適度な距離をもって西洋占星術と付き合っていきます。